
散歩だけが趣味です、と率直を言うと、それなりの打率で「他に生きがいは無いのか」という憐憫のまなざしを頂戴する。なにを嗜んでいますかなどという質問はこの手のジャッジが入るので嫌いだ。個人のものさしで定義が変わるならば、趣味など最初から聞かないでほしい。
料理にせよ日曜大工にせよ、好んで継続的にするとされる所業全般に関心がうすい。教養の貧弱さを疑いたくはないが、音楽をしながら楽器にも機材にも無頓着なくらいなので怪しいところではある。「柄ではない」の一言でなにごとも打ち切ってきた気もするし、心身の余力の無さが邪魔をしてきた気もするが、きっと生来の無精ゆえであるから深堀したところで解決しそうにもない。
釈明しておきたいのは、友人知人のそれを本人たちと共有する付き合いそのものは常に好ましく思っているということだ。古着屋をめぐって見繕いを受け、若年特有のなんの意味もない(点に意味がある)会話に花を咲かせつつ川釣り磯釣りを満喫した時間は、むしろ青春の美しき記憶としていつまでも脳裏に飾っておきたい。
たばこを「嗜む」先輩がいたので、専門店までお供しあれこれ一緒に物色したことがある。買い漁った海外たばこを七条大橋の下で軒なみくゆらせたひと時は、さも「京都の大学生」を体現できているようで嬉しかった。川面に噛みたばこを吐き捨てていたところ、上流からなぜか大ぶりのカツオの頭部が浮流してきたことも忘れられない。ジャンケンに敗れた自分が取りに行かされたのだったが、それを目にした先輩は今に至るまでの付き合いでまるで見たことのない笑い転げ方をしていた。春に学舎を出、日ごろの激務に気鬱としていた背景を知るだけに、ふいに切なくなったものである。
いずれにせよ、趣味とまで呼び難いわけは、ひとりになったとたん自発的にそれらに勤しむことがない点にあろう。
そこで散歩である。雨天をのぞけばほぼ毎日、ひとりそこいらを歩き回っている。気分の乗る日などは昼夜どちらにも徘徊に出ることがあり、我ながら気ぜわしい。体を動かすことが第一義ではないので、「ああ、ウォーキングがお好きですか」と解釈されると、なんだかむず痒くなる。
その日の心地や天気に合わせて、ルートや流し聴く音楽をひと思案めぐらせるのに、こころが華やぐのである。おう夏だぜ、強くきらめく川面が見たいぜ。「風街ろまん」も聴きたいぜ、という塩梅である。この辺はとりたてて主従関係がない。あ、夜の寒空で鈴木常吉が聴きたいな、あすこの路地を歩こうか、という具合のときもある。季節に左右されがちなところを見ると、部屋のしつらえを折節であらためる悦びに近いのかもしれない。炎天の強い色彩とかけあわせて聴きたい音楽や、厳寒に身を丸めながらのみ散策したい裏小路というものがある。夏と冬では、匂いも、光線のまばゆさも違う。
この曲や経路の選択には、「失敗」の概念が存在する。秋空に合うと見込んだのに悲しいほどしっくりこない曲、いまの気分におどろくほど噛み合わぬ景色。そのような不完全燃焼をした一日はまことに悲惨で、あらゆることに身が入らず、終日むしゃくしゃとしてしまう。こういったことを重ねると、定石の組み合わせというものが次第に判明してくるのだが、これは嗜好に輪郭がともなっていくような感覚がしてとても楽しい。夏の幕引きの夕暮れは、土手を歩いて台風クラブを聴けば間違いないのである。組み合わせは相当数にのぼるのだろうが、一度に書き出せば際限も風情もないので、いま記すことはしない。
町の一画にぽつねんと、樹木だけがうっそうと生い茂る区域があった。高低差があるように見えつつも木々に遮られて判然としないそこは、両親の言うところでは「沼地」という解釈であった。もともと広大だった湿地の、かろうじて開発から取り残された箇所という謂れも教わった気がする。
ぬ、ま。その得体の知れなさと、「ここは底なしで、落ちれば二度と浮かんで来られないよ」というまた極端な注意を受けて育ったためであろう。沼地周辺は、成人をまたいでなお怖気のぬぐえない場所であった。要は草木の管理すら施されぬ単なる窪地であったのだが、刷り込みの力というものは恐ろしい。うっかり滑落して泥に沈んでしまう夢や、そのうち身内や友人が転落しまいかという杞憂で、幼少期にはたいそう怯えたものである。今につづく心配性は、このころから萌芽があった。
そういった克明なトラウマが、当時と現在との中継を果たす気がしたのである。沼地はいつしか散歩のたびに立ち寄る「ポイント」の一つと化した。ゆかしい童謡を聴きながらその深緑に目をやると、二十余年も前に母に手を引かれて、こわばりながら付近を歩いた記憶などがよみがえる。面はゆくも懐かしい、手ごろなノスタルジーに浸ることができるのだ。ふと童心に帰りたくなることがあると、自分は決まって「沼」へと散歩に出かけた。
ところで昨年度はなにかと体調を崩した。上半期に音楽関係者間で生じたトラブル、その収拾に気くたびれしたのであろう。夏を越すと同時に、冗談のような頻度で病気をしては寝つく羽目となった。「感情が免疫力を左右する」というのはトモフスキーの歌詞であるが、まさしく我が免疫系は心労困憊により総崩れであったに違いない。あらゆる予定がひっくり返る中、それ以上の差しさわりが出てもことなので、後期は自室で静養しがちであった。散歩日和の晴天や夕暮れを窓辺に見るたび、うかつに出歩けないありようと、健康を削いだ一連の騒動をうらめしく思った。事態の全容は、とても記す気にはなれない。
流感で寝込んだ折、ふと目を覚ますと部屋は西日で真赤であった。「赤とんぼ」を流し聴いたのは何の気なしによるところだったはずだが、ただのびのびと生きていられた幼年の記憶が、色彩と曲とにほだされてあまりに深く想い起こされるのである。同時にこのまま誰に看取られるとなく死ぬのではないかという寂寞が立ち、いい歳をしてひとりめそめそと泣いてしまった。熱でモウロウとしていたこともあろうが、感傷を増幅させてしまう点で、夕暮れの美しさというのは一長一短である。
その際脳裏に浮かべたのは、やはりあの「沼地」のビジョンであった気がする。このまま死ぬのなら、無理を押してでも近所を散歩して回りたい、と思った。
当然最初に申し上げるべきであったが、本表題では日ごろの散歩にちなんだ所感を添え画とともにまとめていきたい。感慨のすべてを具象化することなど到底できまいが、このような趣向もあったのだということだけでもお汲み取りいただければ幸いである。形に残せるほどの情熱であると喧伝していけば、今後憐れみめいた評価を受けることもなかろう。押しも押されもせぬ、誇り高い生きがいである。
顛末を申し上げると、沼地は先日行政による清々しいまでの開墾をうけ、味も素っ気もない埋め立て地と化してしまった。いとしの深緑が刈り取られる光景をむざむざ見せつけられ、前を通るたびに咆哮しそうになる期間が続いたのである。
しかし地あらわとなった奥の院には、無数の切株に囲まれた申し訳程度の水流がちょろちょろとあるだけで、それはおおよそ「沼」と呼べるものではなかった。恐怖の正体は知れてしまったのだ。中継ぎを失った以上、幼年のノスタルジーともそろそろ離別しなければならない気がしている。

中口環太






