
読書という呪い
「本を読もう」
これはインターネットが便利になり尽くした現代において、カウンターのように煌めく説教である。
SNSから濁流のように湧き出続ける情報。そんなものを頭空っぽで流し見し続けるよりも、誰かの含蓄のある文章をしっかりと受け止める。そんな時間こそが現代人には必要なのではないだろうか。
などといったそんな話、言われんくてもわかりきったことである。
そら、本の方が上質な情報を能動的に受け取ることができる。そして何より面白い。役に立つ。
そんなの頭の片隅では理解しながらも、今目の前にある「めんどくさい」をどうにかしてくれっつー話なの!!!!
とは言いつつも、私自身は比較的本を読む習慣はある方の人間ではある。
なんなら「今月は10冊以上読むぞ!」と意気込んでバカスカ本を読んでいた時期もあったりした。
それはそれで充実した時間ではあったのだけれども、そんな熱量が続くわけもなく、現在では月に2、3冊読めたら嬉しいくらいのペースに落ち着いた。
やっぱり本というものは面白いものがたくさんあり、本を読めば読むほど次に読みたい本が増えていく、素敵な娯楽であり、文化でもある。
ただ、それはさておき、それらの眩しさが影を生むように「本を読まねば」という圧力が心に翳りを落とすこともある。
「あんまり本読めてないな」
「読もうと思っていた間に映画化しちゃったな」
「この本ずっとカバンに入れてるけど何ヶ月も読み進めてないな」
「前買った本まだ読んでいないのに新しい本買っちゃって良くないな」
こういった意識が脳裏をよぎったことはないだろうか。
本なんて別に読まなくても生活は大丈夫なのにだ。
「あんまり貯金できていないな」
こっちの方がよっぽど深刻な問題である。
挙げ句の果てに『仕事をしているとなぜ本が読めなくなるのか?』といった本が大ヒットしたりしている。
そんなに本が読みたいのなら好きな本をさっさと読めばいいというのに、人はせっかくの「一冊を読む活力」を以前から読みたかった本へではなく、「これまで本が読めなかった事への理由づけ」に注いでしまうのだ。
『仕事をしているのになぜお金が貯まらないのか?』
こっちの方が切実な問いである。
なのに我々は貯金額よりも読書量にモヤモヤしたりする。あほなのだろうか。
あほなのである。
本というものの面白さを楽しむ心とはまた別軸で、本を読むという行為を儀式的に信仰してしまう心というものもどこかに存在する、卑しい化け物。それが私である。
遅読の心得
そんなわけで今回から読書の速度や量から一時的にでも解放されてみるのはどうかと思い、速読のアンチ、"遅読"を始めることにした。
遅読のルールは以下の通り。
・読み飛ばさないこと
・読み急がないこと
・読み渋ること
・読み込むこと
これに沿って、読もうとしては読めず、読んだと思ったら進まず、忘れた頃にまた読むといった牛歩牛歩の読書記録をしていくことにした。
ただし最後の項目にあるように、あくまで読み込むことも条件である。
その本を読んでいて気になったことがあれば、保留せず読書を中断し、その場で調べる。
これを繰り返して一冊の本を読んでいくことにする。
急がず焦らずの読書。いわば国語の授業の時のように、しっかり一行一行噛み締めていったり、寄り道をしたりしながら、結局はその一冊に戻ってくる。そんな当てのない旅行記のような読書を目指していくのだ。
というわけで今回は記念すべき1冊目。
何を読んでいくのかが大切である。
すでに読んだ本でこの企画を試すのも後々はやってみたいが、やはりこのルールに慣れるには読んだことのない本で試していくのが一番いいだろう。
こういった時は基本的に調べた内容を中心に表示されるネットショッピングではなく、実際に本屋で本を探していくのがいいだろう。
普段の私が興味を持ちそうにない本も視野に入る。
京都の本屋では河原町にある丸善が一番品揃えが良い。丸善に向かうことにする。
本を買わない
丸善に入り、やはり最初は物語の方がいいだろうと思い、小説の文庫本コーナーを見て回ることにした。
パッと目に止まるような話題作は、ざっくり前評判などが意識に入ってきてしまったり、エンタメ力が強すぎてサクサク読み進めてしまうかもしれない。
ゆっくりと本を読み進めたい私にとって、今どの本が最適なのかを考えながら本棚を何周も回る。
夏目漱石や芥川龍之介などの読んだことのない長編をだらだら読んでもいいかもしれない。
逆に好きな作家が出している、長すぎて敬遠していた作品に手を伸ばしてみるのもいいかもしれない。町田康の『ホサナ』とか。
いやしかしこういった「前からつくづく読みたかったんだよな」というセレクトをしてしまうと、読書にのめり込んでしまう可能性がある。今回に限ってはそれを避けなければならないので、程よく興味が湧かない面白そうな本を見つけるべきだ。
そこでふと思い出す。
私はすでに「能動的に手を伸ばしたわけではないが手元にあり、かつ面白そうではあるものの、なんだか読めずにいる本」を持っていることに気がついた。
そのまま丸善を出て、河原町通を下っていく。
自転車を飛ばして家まで帰ると、やはりその本は部屋の片隅に立てかけたままになっていた。
『たったひとつの冴えたやりかた』
作:ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア
この本は数年前に父親が私におすすめのSF小説として渡してくれたものだ。
この企画に関係なく、既にたっぷり数年分寝かせてある本。
今回ついにこれを読む時が来たのかもしれない。
本を嗅ぐ
さて本が決まってしまえば話は早い。
早速表紙を見る。川原由美子のカバーイラストがやけに綺麗。
ページをパラパラとめくってみると、ハヤカワ文庫SFの年季の入った匂いがする。
こういった文庫本の独特の匂いは一体なんなのだろうか。
少し埃っぽい香りの奥に、ウエハースチョコのような甘さも感じる。
古本の"当たり"の匂いだ。
どんな古本もこの匂いがするわけではない。
漫画の古本だと、紙質の違いかインクの多さなのか、もっとちゃんと臭かったりする。本当にかなり古い本だったりすると、稀に"かなり薄めたウンコ"の匂いがすることもある。
私のイメージだと、小説の文庫本はチョコ系の香りに育つ傾向が強い気がする。
あくまでこれは古本の匂いであり、数年程度ではこの匂いは出ない。
試しに本棚にある比較的新しい本を手に取って嗅いでみる。
『砂の女』作:安部公房
全然匂いに甘みがない。新築の賃貸住宅の壁紙から漂ってきそうな、工業的な気配を遠くに感じる、プレーンな香り。
『サラバ!上』作:西加奈子
さらに匂いが薄い。さっきのが賃貸住宅なら、こっちはモデルルームのキッチンのような無機質な香りだ。
『残像に口紅を』作:筒井康隆
先ほどの2冊に比べると、少しだけ甘い香りがする。紙自体の匂いが真っ直ぐ柔らかく届く感覚だ。
『チバユウスケ詩集 ビート』作:チバユウスケ
臭い!これこれ!極力薄めたウンコのような匂い!
この本は古本屋で買ったものである上に、挿絵としてチバのドローイングなどが多く差し込まれている。古さとインク量から、この本は臭いのではという読みが当たった!
どれも素晴らしい本ではあるので、皆さんも機会があれば読んだり嗅いだりしてみてください。
匂いの比較に満足したところで、『たったひとつの冴えたやりかた』に戻る。
これからじっくりだらだらと読んでいくこの本から、うっすいウンコの匂いがしなくて本当によかった。
では早速この本を読み進めていこうと思うのだけれど、ここでふと思い出す。
ハヤカワ文庫にはスピン(しおり紐)がついていない。
買いたての本であれば、書店が紙の栞をつけてくれたりもするのだが、これは古本なのでそうもいかない。
最近はもっぱら電子書籍端末での読書が多かったため、栞をどこにおいたのか思い出せない。
本棚の中にどこか挟まったものがあるかもしれない。
適当なノートの切れ端を挟んでおくのでも栞なんぞ代用はできるが、なんだかそれじゃあ気分がのらない。
ひとまず栞を確保しよう。
本を読み進めるのはそれからにしよう。
コニシムツキ

生年月日 : 1997年1月18日
出身 : 愛知県名古屋市
経歴 : 北海道おといねっぷ美術工芸高等学校卒業
京都芸術大学美術工芸学科総合造形コース卒業
職業 : 彫刻家/文筆家/hoge代表/ex.yuge(Dir.)
趣味 : 読書/映画/音楽/ゲーム/美術/ガジェット
特技 : 相槌
好物 : 肉豆腐/揚げ出し豆腐/冷奴
長所 : 面白がり
短所 : 面倒くさがり
コニシムツキ




