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湯気が止む -京都で8年半続けたアートスペースを閉めた話- 

2025.11.04

2025年8月31日。

2017年から個人で立ち上げ動かし続けていたアートスペース「Alternative Space yuge」を閉めた。

京都の下鴨で5年間、東山に移転してから3年半。
かれこれ8年半にわたってyugeというスペースと共にあった自分だけれど、いまやっと息継ぎができたような気持ちでいる。

先に書いておくと、また何か別の形でスペースを運営したり展示を企画したりしないのかという質問をいくつか貰ったりもしたけれど、少なくとも現状はその予定は無い。
もし仮にまたスペースをやるとしたら私が「むちゃくちゃお金持ちになった」もしくは「美術で金儲けしたくなった」という場合だと思うので、どちらも無いことだと思う。
美術で何かをしようとすること。集団で何かをするということ。これらすべて今の私には手に余ることだと痛感している。

きっといつかまた何かを作りたいと思うタイミングはくるだろうとは思う。
けれども今は、確かな生活だけを残し、荷物を下ろし、スピードを落とし、すぐそばで静かに流れる景色を眺めていたい。

そんな中でも書き留めておきたことがあったのでここに残しておくことにする。

ひとまず

まず、これまでの展示やイベント、公演の数々はもちろん、移転やメンバー入れ替えなどの内状でも本当に多くの人々が関わってくれました。そしてとんでもなく多くの迷惑や混乱に巻き込んでしましました。本当に申し訳ありませんでした。
そして、そんな中でも力を貸していただき、yugeという場所を遠くへと引っ張ってくださって本当にありがとうございました。

時間がかかるとは思いますが、それぞれに伝えないといけない言葉が私の中にたくさんあります。
またどこかで一人一人とゆっくり話しが出来たらと思っています。

どんな場所でありたかったのか

yugeについてと、それが立ち上がるまで

yugeは私が二〇歳の時に立ち上げたスペースだ。
芸術系の大学で立体造形・現代美術を専攻し、制作を続けていた中で、作品の物体として成果だけでなく、それが設置されること、発表されること、公開されることについての感心から"場所"を立ち上げることにした。

最終的なきっかけは「不動産サイトで店舗スペースと住居スペースのある良い物件がちょうど見つかった」という成り行きに近いものだったが、当時学生なりの不透明さで改装、オープンまでかこつけた。

そもそも京都は芸術系大学が多く、当然学生作家も多い。
けれども学外での展示の機会をどう手にしたら良いのかがわからなかったり、わかったところで精神的・金銭的なハードルが高かったり、そもそも学内展示で満足してしまったりという諸々が足枷になることが多かった。

そんな学生作家の最初の関門となる学外展示に必要不可欠な場所がギャラリースペースだ。
ギャラリースペースはざっくりと分けて2種類。コマーシャルギャラリーとレンタルギャラリーがある。
専属作家を抱えて、その作家のプロモーションやマネージメントをしながら展示を開催していくコマーシャルギャラリー。(例えるならミュージシャンを管理するレコード会社のようなイメージだろうか)
そして場所貸しをしているレンタルギャラリー。白い壁やスポットライト、ガラス張りの内装で、借りた人が自由に作品展示をして人を呼んだりすることができる。

学生が自主的に活動するのならば大抵が後者のお世話になる。
ただ、お金さえあれば利用することが出来る場合がほとんどな反面、当然プロモーションやマネージメントなどをしてくれる訳でもないので、結局身内が集まる小規模なお披露目会になってしまうなんてことも珍しくない。

ではそういった内輪だけでの作品発表では無く、コマーシャルギャラリーからのオファーや、企業の仕事、予算のある制作プロジェクトなどに辿り着くまでどうすればいいのか?
制作にも費用がかかる。生活にも当然費用がかかる。そうなると実験的な制作や、販売形式が難しい作品の検証、新作シリーズのレスポンスを確かめるため、その度ギャラリーをレンタルして展示をするということも厳しい。
けれど(制作は孤独な行為だったとしても)作品というものは閉ざされたものであってはならない気がした。

そういう訳で私はyugeという場所を作り、学生には格安でのレンタルスペースをしながら、自身でも若い作家に声をかけ、場所代を作家から貰わずに進めていく企画展をしていくことにした。
未だ見ぬ水面下の作家にもフォーカスをし、狼煙のようにその熱気が立ち上る場所として。

商売がしたいのか?

できるだけ開けた場所として動かし続け、かつ自分の足で展示を回り、作品を見て作家と話し、その作家が何を面白がって制作をしているのか、何を見据えているのかに寄り添い、展示を作っていく。
5年を向かえたあたりで移転をしたりしながら、次第にyugeはレンタルよりも企画展として回していく事がほとんどになり、私自身は他のギャラリーでの展示企画の仕事などで生活をするようになっていった。

するとだんだん明確に理解していく。
ギャラリーは生活を支える商売にはならない。

ギャラリーの収益は基本的に作品販売の仲介料だ。
展示の企画をして作家を呼ぶ。そして作品を制作して貰い、展示を作っていく。そこに鑑賞者が来て、作品を購入して貰えればその中から30%前後を貰う。(このパーセンテージは場所によりけりで、コマーシャルギャラリーだと50%前後とる場合や、百貨店の催事だと60%前後とる場合など様々)

ただ、まず一つの問題として、美術作品を買う人がどのくらい居るだろうか。
まず(作家にもよるが)数十万の作品を買い物できる層がいて、その人に展示や作家の存在を知ってもらい、展示日程に展示会場に来て貰う。そして作品を見て、その作品を展示(もしくは保管)できる空間を所有していてやっと購入が決まる。

すべての商売が同様に難しい問題ではあるが、美術はそこへの道筋が極めてか細い。

賢く売れそうな作家を見極めて、富裕層にウケる展示を打ちまくるのも一つの手だろう。実際コロナ時期には若手の絵画作家を中心にアートバブルと呼ばれる盛り上がりがあった。
けれども、それを繰り返せば、コレクターやギャラリスト達が若手作家の作品の価格をいたずらに引き上げ、バブルがはじけた後はだれも居なくなっていて、その作家の継続的な活動を誰も支えてくれないなんて状況を作りかねない。
そんな状況を打破しようにも、作家はギャラリー側から販売しやすいサイズやシリーズ展開を要求されて、新しい作品に踏み出せなくなってしまったりもする。
まるでリズムネタで売れた芸人のようなジレンマだ。

また作品の形式についても大きな問題を抱えている。
美術の中では比較的展示や保管がしやすい形式である絵画がイメージとして先行しやすいが、彫刻作品の場合はどうだろうか。さらに空間演出であるインスタレーションやパフォーマンス作品なんて尚更販売が難しい。
音楽に歌謡曲もあればジャズもロックもあるように、美術には絵画も彫刻もパフォーマンスもある。
どれも同様に美術であり、どれもに作品発表の可能性や活動の余地があるべきだと私は思った。

もし私の根幹が「ギャラリーという商売をしたい」という気持ちであれば、私は売れる作家を探し出し、目を引く展示を企画して、購買意欲をそそるために若手作家作品の価格高騰について来場者にプレゼンしただろう。
けれどわたしはそうではなかった。
面白い作家が面白い構想を元を面白い作品を作っていて、それをどこかに接続したかっただけなのだった。その過程にギャラリースペースというハブがあり、そこで広げられる営みこそが愛おしかったのだ。

わたしは生活のために他のギャラリースペースで仕事をしながら、yugeという場所は作家と向き合う為の場所として残し続けようと思った。
彼らが美術の何に惹かれ、またそれぞれが美術意外にもどんな領域に感心があり、それらがどうアウトプットされるのかが楽しみで仕方なかった。
ギャラリストやコレクターとの政治も忘れて、販売形式にも強制されることなく、試したい物事を外に出す。
そんな場所として、このオルタナティブスペースが存在できたら嬉しいと願っていた。

yugeの成果とは何なのか

燃料はすでに空っぽ

最終的にyugeは閉じることになった。

当然yugeの家賃や光熱費が毎月かかる。
下鴨時期から東山時期にかけてそれらは生活を圧迫しながらも発生し続ける。時期によっては二階の住居スペースや事務所スペースをシェアするメンバーと共に家賃を払いながら、ギャラリースペースを維持してきた。

前述したような活動スタンス故に、コンスタントな収入はyugeでは発生しない。だがそれだかこそ縛られず追われずに出来ることがあるとも信じていた。
けれどもそんな私の願望の為に、共に毎月の燃料を費やしてくれる人たちがずっと一緒に居てくれる訳では無い。現実的に至極あたりまえな事である。

単純な話、立ち上げ当初から解散に至るまで、yugeは一瞬たりとも自立出来ていなかったのだ。
文字通り、中身もガワも他者に支えられ、もたれかかった状態で甘えてしまっていた。

改めて、いままでyugeの二階で共に生活をしてくれた人々、そして共に事務所として過ごしてくれた人々すべてに感謝しなければならない。
本当にありがとう。たくさんのご負担ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

どこにも辿り着かなかった

yugeは最終的に京都のアートシーンになにか影響を与えた訳でもなければ、有名人気作家を大量輩出した訳でもない。私自身が大きな何かを任される存在になっていった訳でもなく、途中から立ち上げた運営チームがコレクティブとしてどこかに名を残す訳でもなかった。

今挙げたどれもがyugeの目標ではなかったし、わたしもそこを目指していなかった。
だれかが指さし見上げるような場所には、どこにも辿り着かなかった。

実際私はもう美術にまつわる仕事をすべてやめて、yugeもしめて、生活に専念することにした。
それで生活が成立するのだ。なんならそれらをすべてやめた今の方が快適に生活できる。

じゃあ逆に、私が続けてきたコレは何だったのか?

何でも無かった。 曖昧なもやのようなものであった。地に足の付かない、不安定なものであった。どこを歩いているのかもわからなかった。どこに向かっているのかも知らなかった。

ただ、空洞では無かった。
ただ、その確かな距離のなかで見た景色はあった。

それらを満たしてくれたのは、その景色を見せてくれたのは他でもない多くの作家たちだ。

絵画、彫刻、陶器、演劇、インスタレーション、ショップ、コント、パフォーマンス……etc.

沢山の作品が、yugeの空間を満たしてくれていた。
それが入れ代わり立ち代わり場所を彩り、人が巡る様を見せてくれた。
yugeという場所や私が何かに成ることはなくとも、こんなに遠くまで連れて行ってもらえたんだと本当に感謝しています。

無邪気で無計画で無謀で無神経な時間だった。

けれどなんて充実した喜びだっただろうか。
なんて充実した痛みだっただろうか。

儚く散り散りになってしまったyugeというこの場所の名前、そしてその空欄がなにかで満たされる事の証明にと名付けたhogeという活動屋号の名前をここに残す。

今、立ち上らせ続けた湯気は止まり、視界の先は寂しくも、霧が晴れたように澄んでいる。


補遺

2025年9月1日。

ブログを更新したあとにXのスペースで色々と喋った。

特に何を喋るかは決めていなかったが2時間弱喋っていたので、思ったよりまだ書き留めたい事があるのだと知り、それらを再構成しながら書き起こしていきたいと思う。

退去にあたって

yugeを閉める作業を4,5日間くらい続けていたのだけれど、それをSNSで告知していたらたくさんの人がyugeの最後を見届けに来てくれて、本当に嬉しかった。

職場の同僚や、大学からの友人、展示をしてくれた作家、展示を見に来てくれていた人…etc.

本当にほとんどの時間に誰かしらがいて、何かを喋っていた。

また要らなくなった備品や家具、家電、木材、書籍などを自由に持って帰ってもらっていい状態にした。

多くの備品や木材は京都清水五条エリアにある大黒湯に引き取ってもらった。
大黒湯はちょうど9月1日からリニューアルオープンを迎えるところだ。
その改装にあたって大量の木材や家具類を持っていってくれた。

家電関係や細々した備品のほとんどは京大西部講堂に引き取ってもらった。
西部講堂も現在2階の事務所を改装しているところらしく、いろいろなものを持っていってくれた。

ともにこれからも京都で活動し続ける歴史ある場所であり、それらの場所にyugeの欠片が散り散りになって存在し続けるということが私にとってはとても嬉しいことだった。

他にも漫画や図録、評論系の書籍もすこし手放すことにした。
それぞれ現役で作家活動をしている人たちが少しずつ手にとっていってくれた。美手帖や評論を持っていってくれたのはほとんど作家の人たちだった。
本来手放すつもりはなかった本である『安部公房の演劇』と『安部公房レトリック辞典』なども、作家の伊藤真生くんに譲った。(なんだか彼に持っていて欲しくなってしまったのだ)
制作をする予定がない私が持っているよりも、彼らがそれらを持っていることのほうが私にとっては希望のようなものを感じられた。

途中で清掃業者などももちろん入れたのだが、多くの人が最後にyugeを見送りに来てくれて、その欠片を持ち帰ってくれたおかげであの場所はついに空っぽになることができた。本当にみんなありがとう。

資金さえあればyugeは続いたのか?

例えば、毎月10万をyugeに出資してくれる存在を見つけられたりしたら、yugeはもっと続いたのだろうか?
もしくは毎月10万の収益をだして家賃を補填し続けられたら、yugeは永続的に活動していたのだろうか?

昔の私にとっては「YES」だったとおもうけれど、今の私にとってはそれはきっと「NO」だ。

それこそ8年半続いた。
10周年とか迎えられたら嬉しかっただろうが、それでも8年半は短くはなかった。
義務教育を終えるか終えないか、大学に入っても博士号を取れるか取れないかくらいの長い期間でもある。

仮にもう一年やっていたとしたら、もうあと半年頑張って10周年を迎えようとしたかもしれない。

けれども、どんなifを描いても、私がしんどくなってしまっていた事実は変わらなかっただろう。

yugeという場所を持ってたから得られたものもたくさんあったが、その場所を持っているから苦しく思うものもたくさんあった。

私はそもそもタフな人間ではない。心身ともに。
だからきっと、遅かれ早かれyugeを辞める事になっていたと思う。

ただ、様々な問題を帳消しにして、yugeという場所がもうすこしでも長く、そしてそれがいつか見えないほど遠い時間まで存在させられることが出来たのならば、それはなんて素敵なことだったろうなと思う。

ギャラリースペースを"運営"している場所はすごい

ギャラリースペースで続いている場所は、思えばどこも別で本業があったりする。

京都で言うならば、hakuはメインで美容室がある。vouもショップ経営がメインとして繁盛している。PARCも(閉廊してしまったが)飲食系が母体。写真美術館は出版業が母体。hakariは不動産関係が母体。蔦屋は書店が軸としてある。

現代美術を取り扱うギャラリーは一本足では立つことが出来ないのかもしれない。

そもそも軸となる商売を成立させているだけでもとんでもなく凄いことにもかかわらず、それにプラスで全く金にならないギャラリー業にまで手を伸ばしているのだから正気の沙汰ではない。
そんなスペースを設けるよりも、飲食のブースを作ったり、商品の陳列をしたり、商談用の部屋にしたり、ただのレンタルスペースとして放任してしまうほうがよっぽど商売としては有意義だろう。(実際そうやって一旦立ち上げられてきたギャラリースペースがどんどんと淘汰されていく現場を幾度となく見てきた)

にもかかわらず、それぞれ苦しみながらも、我々が知る由もない思惑を握りながらも、それぞれのスペースをそこに存在させてくれている。

本業の余力を持ってして、道楽や社会貢献としてやっと存在が成り立つ変な場所。
それがギャラリースペースなのだ。

作品を仕入れてショールームのように即売会をしているわけでもなく、インテリアの営業のように売りさばくわけでもなく、イベントの装飾として"アート"を呼び込むわけでもなく、イルミネーションやアトラクションとしていたずらに人を呼び集めるわけでもなく、ただ真摯に作家と作品と向き合える可能性を残しながら空間がそこにある。

なんて希少で尊いものだろうかと思う。

複製に耐えうる価値を持つメディアとそうでないメディア

音楽や文学、服飾、飲食の届き方(受け取り方)にはつくづく嫉妬する。

音楽を例にするならば、その作品のジャンル、奏法、時代、ルーツ、アートワーク、作家のバックボーンや文脈などをも面白さとして享受されている環境ができあがっていると思う。
それは多くの先人達が土壌を作ってきたことによるものだけれど、我々はその背景を感じながら、それらの枝葉の先として「口ずさみやすいメロディ」や「心に残る歌詞のフレーズ」というものを趣味性・娯楽性の極致として受け取ることができる。

けれども美術はどうだろうか。どの作家や作品も(”作品”としてい成立しているのならば)ジャンル、製法、時代、ルーツ、公開・設置環境、作家のバックボーンや文脈などをも面白さとして享受されているのだろうか?
美術ではなぜだかそれらを無視して、枝葉の先でしかない「パンチのあるビジュアル」や「破天荒でキャッチーな作家ストーリー」だけが趣味性・娯楽性の結晶として訴求されている。
まるで美術の本質はその枝葉の先にしかないかのように持て囃されてきた背景が確実にある。

つまり、他文化では透明化された「土壌としての人文学的価値」を美術は無視されてきたきらいがあるのだ。

それはいったいなぜなのだろうか。

他の文化の売れ入れられ方にたいして美術が決定的に違うのは、その普及の仕方だと思う。

本や音楽、服飾などはオリジナルを商品として商売するのではなく、すべて複製品を商品として普及することで商売として成立する。
少し特殊ではあるが、言ってみれば飲食もそうだ。プリンターとインクの関係のように、食材と調理過程を通して、料理を複製して普及している。
そしてそれらの決定的な強さは「複製品になろうが価値が変わらない(下がらない)」という点なのではないだろうか。

もちろんそれぞれの分野において「生」が持つ価値を保証するようなアプローチはある。
けれども基本的には複製物が我々の手元には気軽に届く。そして気軽にお金を払うことができる。

にもかかわらず、美術はどうしても現物にこそ価値が依存してしまうのだ。

どの時代に、どんな文脈やバックボーンを持った作家が、どんな素材で、どういったタッチで、どういった工程で、どういった環境に、どういう形式で、どんな状況で作品を存在させるか。

それらが美術の価値を決定的に位置づけてきた。
それゆえ、同時にそれが致命的なのだ。

演劇などで考えてみると、複製データを大量に上映して訴求する映画とは違い、いわゆる「生物(なまもの)」として親しまれている。
あれもどうように、その現物にこそ価値を見出している部分が大きい。

そこでまさに起きている。そこに居合わせる。目の当たりにする。
これらが表現者と鑑賞者によって対等に支えられている。奇跡のようなメディアではないだろうか。

つくづく演劇がなぜ成立し続けているのかがわからなくなる。
商品として極めて不安定なものにもかかわらず、文化的な眩しさと、多くの人の血と涙と汗でなんとか自立している。

きっと、演劇と同じく、美術もそうやって鑑賞者側が文化的な構造をともに支えるような姿勢を取れるように、なんとか誘い出す努力をしなければならないのかもしれない。(もちろん演劇も美術の一つでは成るのだが、成り立ちや形式があまりにもガラパゴス化しているため)

作品を購入するということ

ギャラリーに足を運ぶ人はもともと多くはない。
そしてさらに作品を購入する人はもっと少ないというのは前の記事で書いたとおりだ。

私はyugeで展示をしてもらった作家の作品で気に入ったものが会期の最後まで残っていたら(小作品ばかりになってしまうが)購入することもぼちぼちあった。それは私のいた環境や状況がそうさせてくれたのが大きい。

ただ、人の作品を買ったことがある作家はどれくらいいるのだろうか。
意外に思うかはわからないが、美術作品を買ったことがある美術作家というのは案外多くない。

音楽に金を払ったことがないミュージシャンはほとんど存在しないだろう。
漫画を買ったことのない漫画家も、本を買ってことのない物書きも、外食したことのないシェフもきっとほとんど存在しない。

けれど、絵画を購入したことがない絵描きはわりと存在する。

わたしはこれを一切否定しない。する気にもなれない。
なぜなら絵描きが絵画を購入するほど金銭的な余裕があるわけなんてほぼ無いのだから。

だからこれは「自分の作品で食っていこうとしているのに他人の作品に金を出さないのか」という話なんかではない。

繰り返しになるが、やはり美術というメディアがもつ「複製に耐えうる価値を持たない」という弱点の問題に帰ってきてしまう。

殆どの場合、作家にとって作品を複製することに意味はなく(むしろそれは価値を下げる行為になったり、意味を壊す行為になりかねない)、当然それぞれを単価の高いものとして生産して販売していく形になる。
そうなると購買層が一気に絞られて、普及方法が歪になっていく。がんじがらめである。

考えれば考えるほど、美術という文化形式が、商売という構造と極めて相性が悪いという気がしてならない。

仲介・取次的な中間の存在の意味

先日積読ラジオというユーチューブチャンネルのどうかを見て、本や業界というものも驚くほど厳しいのだということを知った。

本当にいい動画だったので、ぜひ時間が空いたら見てみてほしい。

その動画では本の流通構造として、「出版社」「取次業者」「書店」があるという説明をしている。

そのややこしい仕組みや理由については動画内で詳細に説明されるのでここでは省くが、この「取次業者」という存在があることで、書店や本を買いたい人を苦しめてしまう状況があったりする。

本来取次業者は、より広く、より多くの書店や人にくまなく本を届けるのに必要な存在だったにも関わらず、資本主義のバグのようなねじれが出来上がってしまっているのが現状のようだ。

この話を聞いていると、なんだか他人事とも思えない気持ちになってくる。

美術の場合は当てはめるなら「作家」「ギャラリー」「購入者」という形になるだろう。
作家の作品をギャラリーで発信して、購入者にとどけることで、作品が販売される、知れ渡る。シンプルな話だ。

けれども昨今は作家自身でSNSなどを利用してセルフプロデュースをすることも可能だ。
作家から直接作品の情報を受け取って、購入希望者が直接作家から作品を購入しようとするなんてこともあるだろう。
そこで登場するのは「ギャラリー」である。

「すみません、〇〇ギャラリーさんで作品を取り扱ってもらっていまして、そこを通してもらえますか?」
「〇〇ギャラリーの所属作家でして、そちらに連絡をおねがいします」

ギャラリー、50%の売上マージン獲得。

変な話である。ギャラリーでの展示で作品売買が成立したならともかく、そうでない場合もギャラリーを通さないといけない。
それによって作家は売上が半分になり、販売価格はギャラリーが引き上げたりしている場合もあるので購入者も損である。

はたして間に存在する我々は必要な存在なのか?

その答えは間違いなく「YES」だろう。

ここでもまた美術の「複製に耐えうる価値を持たない」という特性が登場する。
あくまで美術を美術たらしめるのはその作品がもつ数多の要素や状況だ。
SNS越しではなく、それらの要素が伝わる展示をおこない、現場でその状況に居合わせてもらうことで作家の意図は果たされる(ことが通常の作品の場合ほとんどである)。

美術の根っこにある人文学的価値を透明化するためにも、作家と場所は共生関係になければならない。

しかし、そんなことどうでもいい作家や購入者がいたらどうだろう。

また話は大きく変わってくる。
作品のビジュアル部分のみを発信して、そのビジュアル部分のみから惹かれて購入する。それが成立する作品や作風、制作スタイルももちろん存在する。なのでギャラリーの立場はあやふやだ。

つまりどういうことかと言うと、様々なパターンがある作家や作品のあり方と向き合い、その都度必要なマネージメントやプロデュースを判断して動いていくということがギャラリーには必要なのだ。

商売に舵を切る度胸があるのか

中間に存在するものとして、必要な仕事は確かにある。その存在意義も確かにある。

けれども、悲しいことにそれらに努めたところで、それに比例するように売上が上がるわけではない。

どれだけ来場者数が多くても、作品の販売がなければ収入は0である。
展示にまつわる備品費や広報費、運送費…etc. が出ていくばかりである。

それは結局多くの人は美術作品を購入できる経済力を持っていないからである。
同時に美術作品が多くの人の手にわたる価格設定ができないものだからでもある。

極端な話をしてしまえば、作家に対する制作サポートなどのもろもろなんかよりも、金持ちのコレクターを大量に展示に呼び込める連絡網を持っていることの方が、ギャラリーという商売をやっていくには優先度が高いのかもしれない。

なんて、なんてバカバカしいのだろうか。
そう思ってしまう自分がどこかにいる。

結局「美術を使って商売がしたい」という人間と「美術がしたくて商売にもする」という人間では天と地ほどまでの差があるのだ。

これは私が「美術には大前提として人文学的価値がある!文化の一端を担うものとして譲れないところはあるのだ!」というプライドをどこかで持ってしまっているのが悪い。

そんなことをもやもやと考えないで、「アートでなんか面白いことしましょうよ!」「事業にアートを取り込んでいきましょうよ!」「この作家さん、価格が上がっていってるんですよ!ほら金箔やクリスタルも使ってる!」と商売に割り切って舵を切ることが出来たら、どれだけ楽だっただろうか。(もちろん楽なわけがない。商売をするのは無茶苦茶大変である)

事実、空気の淀みまくった美術には、広告代理店的な外連味の風を吹かせないと業界として終わってしまう。
それを素直に喜びながら、自分は自分として舵をしっかり握り続ける度胸と根性が私にはなかったのだ。

yugeという場所が終わって

yugeという小さな場所をやってきたことに対する「やらなきゃよかった」という後悔は一つもない。

いままでの展示や活動において、作品やお金のやりとりで人に迷惑をかけてしまったことに対する、本当にごめんなさいという気持ちはたくさんある。

だが、多くのものをyugeという場所で得てきたし、実際わたしは白々しくも「これはこれでやりきったのだろうか」という一種の清々しささえ感じたりもしている。やってよかった。yugeという場所を作って8年半も動かせてよかった。

ただ同時に、走り終わった今、ふと横を見たときに誰もいないという事実。
これについては本当に大きな心残りではある。

私自身が頼み込んで集めた人たち、協力してくれた多くの支援者たちは確かにいて、常に助けられてきたし、そのおかげでいまがある。常に背中を押してもらっていた。

けれども、同じモチベーションで、同じ指針を持って、同じ負担と熱量で横並びにこの場所を誰かを動かしていくことは出来なかった。
誰かとともに活動することについて甘く考えていたし、向かう先をきちんと示したり、金銭面や時間などの直接的な負担がそれぞれの人にとってどのくらいものだったのかをもっと向き合うべきだった。これは私が結局ひとりよがりな立ち回りをし続けてしまったことの結論なのだと猛省している。

私はチームとしてyugeという場所を膨らませていきたかったし、同じモチベーションで一緒に走れると思っていた。私はともに誰かとやっていけると慢心していたところがあった。
だから勝手に、まるで誰もついてきていないかのように錯覚してしまったし、それで勝手にくじけてしまったフシもある。
最初から最後までなんて身勝手だったのかと思う。

それでも、そんな中でもyugeという場所ではずっといろいろな作家が展示をしてくれた。

絵を書いている人、彫刻を彫っている人、アパレルをやっている人、ジュエリーをやっている人、演劇をやっている人、音楽をやっている人、お笑いをやっている人、ラジオを一緒にやってくれる人。

そんな物事がずっとあり続けた。

場所としてやっていく能力は私には圧倒的に足りなかった。
集団として引っ張っていくことも私はうまく出来なかった。

そんなガタガタの外装にもかかわらず、中身は常に多くの作家がともに色々な物事を見せてくれた。
ほんとうにすごくありがたいことだと思う。素晴らしいことだったと思う。

仕組みとして成り立っていなかったのに、多くの人が内外問わず、循環させてくれていたのだ。

2017年から2025年までのすべての展示の年表をまとめみようかと思う。
ブログ上というみすぼらしい場所ではあるが、せめてこのネットの海に残しておきたい。

やらんでもええことをやっているお前

結局私が今日話していた、ギャラリーという場所のやりづらさや、音楽や文学などの複製作品にたいする羨望も、すべて贅沢な話でしかないのかもしれない。

そもそもなんのメディアにおいても「制作をする」という行為は生活には必要はない。

絵を書かなくても、歌を歌わなくても、文章に記さなくても、体をしなやかに動かさなくても、働いて飯食って風呂入って寝てれば生活というものは成立する。それで充分尊い。素晴らしいことだ。

なのに、なぜか何かをやってしまう。

そこからがきっとまたスタートになるのだと思う。
私の場合はずっとぬるぬると続けて来てしまった。「やんなくてもいいんや!」と気づく工程もなく、「やってきてるしな」という雰囲気までもを燃料に投下してしまっていたところがある。
なので、いったん「やんなくてもいいんやなぁ」と実感する時間を置きます。

ただこれは「みんな一旦手放せ」ということを伝えたいのではなく、すでにずっとなにかをぬるぬると続けてきてしまった人は「やんなくてもいいのにやり続けているの、あんたが思っている何倍もすごいで!!!」という話でもある。

何かを作ったり、発表するということはすごいことなんだ。

小さい頃からだったり、学生の頃からだったり、ずっとやっているから、辞める理由も特に無く、ただなんとなくずっと共にある物事があなたにもなにかあるだろう。
それを当たり前に続けているということは、すごいことだ。一度それを実感して、自分自身のことを褒めてやってほしいと思う。

立派だね。
やんなくてもいいことをし続けているのって、素晴らしいことだね。

そもそも生活もしんどいじゃんか

生活とべつで何かをしていることは立派だと語ったけれど、そもそも考えてみれば生活自体も無茶苦茶たいへんなことではないか。

ばかみたいな話だけれど、生活(目を覚まして、飯を食って、外に出て、仕事をして、誰かを話して、家に帰って、風呂を沸かして、飯を食って、風呂に入って、食器を洗って、洗濯物を回して、干して、畳んで、歯を磨いて、アラームセットして寝る)するだけでも、なんて凄いことかと思う。偉すぎる。

しかもその上、なんとみんな、なにかしら好きなものがあるだろう。

それってなんて豊かなことなんだろうか。

好きな音楽があって、好きな漫画があって、好きな小説があって、好きな映画があって、好きなゲームがあって、好きなご飯があって、好きな飲物があって、好きな服があって、好きな道具があって、好きな家具があって、好きな絵があって、好きな写真があって、好きな場所があって、好きな人がいる。

それって素晴らしいことだね。

それって凄いことだと思うな。

ただ仕事をしていても、それがなにかにつながってきっとどこか誰かに何かを起こす。
ただ何かをつくっていても、それをきっと誰かが好きになってお金を払ったりする。

私はyugeというアートスペースを辞めたけれど、まだまだ見たていたい作家も、見てみたい美術作品もある。読んでみたい漫画や本も、まだ連載中で楽しみな作品もある。まだ聞いたことのない音楽がある。また繰り返し聞きたい音楽がある。触ってワクワクする道具がたくさんある。それを使ってなにかをしたいと思える。楽しみにしているアニメもある。公開がたのしみな映画もある。サブスクには観たい映画リストがたくさん溜まっている。見に行きたい演劇もある。毎年行っている落語の公演もある。お気に入りの喫茶店がある。ずっと気になったまま行けていないお店もある。寒くなってきたら着たいコートがある。

この先の人生の楽しみを見積もってみると、これだけでも大量に溢れている。

誰かが(あなたが)何かを作っていることで、こんなにも喜びがある。

なにかをやっている人たちはそれをもっと自覚していい。

それが存在する喜びがある。それを受け取った喜びがある。それを誰かと分かち合う喜びがある。

実はあなたが一つ何かを作り出すだけで、思っている3倍も喜びが生まれています。

ありがとうね。

この話の終わり

結局この話の着地はどこになるのだろうか。

私は勝手にスッキリしているけれど、やっぱり関わってくれた人に申し訳ないという気持ちがしこりのように残る。

せっかく一枚噛んでやったのに辞めるんかい、という話である。

でも、私はもう、いいんです。もう無理だったし、もう充分でもあった。

ただ、私はいろいろなものを面白がりながら、これからも生活を続けていきます。

だからその時は私に教えて下さい。

面白い展示があったとき。
面白い本があったとき。
面白いアニメや映画があったとき。
かっこいい服飾を見つけたとき。
かっこいい音楽があったとき。

そして、可能ならば、おもしろい作品を作ってください。

私はきっとおもしろがると思います。
それが私の楽しみです。

あんたがやっていることは、あんたがおもっている3倍はすごい。
それを忘れないでください。

yugeという場所に来てくださり、参加してくださり、利用してくださり、知ってくださり、見守ってくださり、本当にありがとうございました。

みなさん、生きていきましょう。

この世の中、無茶苦茶おもしろい物事が生産され続けています。

他でもない、あなたのおかげで。

ありがとう。

コニシムツキ